さらり

それなりに働いてそれなりに歳を重ねた30代女が思うこと

#わたしの転機

33歳になる約3ヶ月前、私は2社目に勤めた広告代理店を辞めた。

新卒で入社した会社を約1年半で辞めてすぐに入社したその会社で、私は約7年と少し求人広告を作っていた。営業事務で入社したにもかかわらず何回か営業にコンバートされそうになって、その度に「だったら辞める」と言い続けて事務職に居座り続けた。事務職とは名ばかりで、原稿も作ったし受注登録もしたし取材にも行ったけれど。

ひたすら原稿を作り、取材に出かけて、終電間際まで働いた。週刊の仕事は大変で、木曜日は絶対に20時より前には帰れなかった。趣味も、友達との誘いも、木曜に設定された瞬間諦めざるを得なくなる、そんな職場だった。
幸いにも、人には恵まれた。お客様にも、上司や先輩や後輩にも。自分が社会人になりたての時に立てた「浅海さんと働きたいと言われる人間になりたい」という夢は、社会人7年目の頃に叶った。お客様にそう言っていただいた時、目標や夢は叶うんだなとすごく嬉しかった。
大学の時にぞっこんにはまり込んだ「広告クリエイティブ」を、少しだけど細々と続けることもできた。営業部にいたのに制作部にちょこまかと入り込んで、コピーライターの上司にいろんなことも教えてもらった。TCCのコピー名鑑を業務時間中に堂々と読み漁った。絵心や美的センスというものは前世に置いてきたので何も発揮できなかったけれど、時々自分でもハッとするようなコピーが生まれた。お客様にそれを却下された時は悔しかった、そしてそこで「求められているものとの整合性を取ることの大切さ」、今で言う忖度を学んだ。

求人広告の仕事が、とても好きだった。自分の知らない職業を知ることは単純に楽しかった。絶対に自分だったら選ばないような仕事を選んだ人に、取材先であれこれ聞けることは本当に大きな財産になった。営業職、ホール・キッチンスタッフ、施工管理、エンジニア、SIer介護福祉士言語聴覚士。世の中には知らない職業がたくさんあって、その仕事を選んだ人がいる。どんな気持ちなんだろう、どうしてその仕事を選んだのだろう、そこで働く楽しさってなんだろう。私だったら絶対に選ばない仕事だから、知ったかぶりでは記事なんて書けない。だからいつも、取材するときには「私を口説き落とさせるようなインタビューをしよう」と思っていた。何も知らないずぶの素人が「この仕事いいなあ、この職場いいなあ」と少しでも思ったなら、経験者や有資格者はもっとなびいてくれると思っていたし、実際にそれで採用難職種と言われる職種の採用ができたこともある。
決して自分だけで掴んだ成功じゃない。案件を取ってくる営業マンがいて、コピーの書き方を教えてくれる上司がいて、少しばかりチャレンジングな原稿を作っても、「あなたが作ったなら任せる」と言ってくれるお客様がいて、だからこそ責任感が芽生えて、採用につながるということが多かった。私は、すごく求人広告の仕事が好きだった。

けれど、私はその会社を、その仕事を辞めた。

転機となった理由は呆れるくらい笑えるようなもので、「人間関係」の一言に尽きる。新しい上司の考え方にどうしても合わなかった。「あなたはキャリアもある、年齢も重ねている。ならばそれを後輩に数字で示しなさい」というミッションが降りてきた時、(この会社では働けないな)と思った。そこで課されたのは「いい原稿を作る」ことではなくて、「たくさん原稿を作る」ことだった。長尺の原稿を1本作る時間で、クオリティにはこだわれない、条件だけを詰め込んだ短尺の原稿を10本作れ。数をこなして、「あの人に仕事をふればすべてこなせる」という立ち位置を築け。それが、私に課されたミッションだった。

その考え方が間違っているとは思わない。会社によっては、そういうタイプの制作マンがいることも知っている。けれど、私はどうしてもそれが受け入れられなかった。ロボットみたいに数をこなして、誰が作っても同じにしかならない小さな原稿を作り続けることに楽しみを見いだせなかった。語尾につく「★」と「☆」、どちらが効果が良いと思いますか?とお客様から聞かれてそんな物どっちでも同じですよ星の形状で応募したくなるかならないかなんてあなただって考えたことも無いでしょう?と電話口で何回も言葉を飲み込んだ。

このままじゃ、大好きだった仕事を嫌いになる。大好きだった「求人広告」という仕事を、そして「広告」そのものを嫌いになる。それが分かっていたから、私は会社を辞めた。
同じ系列の別会社に行くことも考えた。が、応募には至らなかった。業界内での経験年数は長かったから他の会社に行けば(年齢面以外で)重宝されるだろうというのは分かっていたが、なんとなく、どの会社に行ってももういい原稿は作れないだろう、と思っていた。またロボットになれというミッションが下った時、それはもう絶対に決定打になるだろうと確信していた。好きなものを好きなままでいるため、最低限「嫌いにならない」ために、私の防衛本能が働いた。

今は全く畑違いの、教育関係の仕事をしている。BtoBの仕事からBtoCの仕事に変わって、こんなにも違うのかと未だに驚く。会社が変われば文化も変わる、人が変われば空気も変わる。自分が原稿に落とし込んできたものを、自分自身が1年と少しかけて実感している。
時々、自分が作っていたメディアを見る。自分が担当していたお客様の社名やお店の名前を打ち込んで、どんな原稿で募集してるんだろうとこっそり検索してみたりもする。大体はまだ自分が作っていた原稿のエッセンスが残っていて、その度に少し胸が締め付けられる。

転職は、何かの転機があって初めて発生したり認識したりするものだと思う。
私にとっての転機は上司が、会社が変わったことで、それが、転職につながった。知ったかぶりをしてずっと原稿に書いていたその内容を実際に体験すると、あの頃の自分は浅かったなあと恥ずかしくなる。それでもきっと、あの頃の私が書いた原稿で、私の知らない誰かは「転機」を手中に収めて、転職したりはじめてのバイトや就職をしたりしたんじゃないだろうか、そうだったら嬉しい。そうだったとしたら、あの頃の、若くて勢いしかなかった、青臭い私は報われて成仏するのだろう。そうじゃなかったとしたらあの頃の私の原稿には魅力がなかったのだと諦めるほかしかない。…そうでないことを祈るばかりだけれど、もう知る術なんてないのだ。