さらり

それなりに働いてそれなりに歳を重ねた30代女が思うこと

#育ってきた環境は違うから

血液型で分類される性格占いみたいなものに興味がない。なんて言うと「出た出たww」みたいな反応をされることもあるが、当たってるとはあまり思えないから仕方がないのだ。反対もしないけど信じもしない、というくらいの認識だ。同じ理由で星座占いもあまり気にしていない。
一方で、「兄弟でどの位置において育ってきたか」は割と信頼に値すると自分の経験則から信じているところがある。長子、真ん中、末っ子、一人っ子。『占い』ではないけれど、その人がどのような立ち位置で育ってきたか、どんなふうに振る舞ってきたか、というのは、社会に出てからの立ち位置となんとなく同じところに行くような気がしている。もちろん年次や、その会社における立ち位置によって変わってくるとは思うけれど。

私は長女だ。弟が一人いるけれど、5つ離れているから一人っ子期間も長かった分根っこの部分は割とわがままである。けれど、『5つ離れている』ともなれば母親は私にある程度の『大人の代わり』としての役割を求めたこともあった。
特にうちは両親が共働きでごくまれに夜に飲み会が二人ともかぶるなんてことが年に2-3回あった記憶があり、そういう時はごはんから洗い物までのひとしきりは私の担当だった。小学生の、まともに家事もしたこともない弟(しかも生意気)に家事なんかそりゃあ任せられやしないわな、今自分が母親と同じ立場でも姉にひとしきり任せるわ。

けれど一方で、父も母も私に『お姉ちゃんなんだから』ということは一切言わなかった。6歳7歳の、まだ弟が赤ちゃんだったときに1度言われた記憶があるくらいで、少なくとも小学校高学年を超えてから言われた記憶はない。お姉ちゃんなんだからガマンしなさい、譲ってあげなさい、そういう類のことは一切言われた記憶がない。
そして、『女の子なんだから』と言われた記憶もない。私は九州の、まだまだ男尊女卑的な考え方があるような環境で育った。女の子なんだから短大でいいじゃない、女の子なんだからおとなしくしてなさい、そんなことを言われた記憶はまったくない。おかげで(?)青や白、紺や黒の落ち着いた色が好きな性格に育った。とは言えその思いは少なからずあったようで、私の部屋のカーテンやベッドカバーはピンクだったし、昨年誕生日プレゼントに父が選んでくれた日傘は自分では手に取らないようなかわいらしいピンクだった。笑

最近、特にこの1ヶ月で3回言われたことがある。『あなたがいると、あなたと話していると、安心感がある』働く上で、これは私にとって褒め言葉以外の何者でもない。そう言ってくださる相手に対して何か特別なことをしている感覚もないし、何かの便宜を図ったこともないのだけれど、自分の対応が相手に安心感を持ってもらえるそれなのであればそのふるまいは間違っていないと言ってもらえているような気がするのだ。
そしてそれは、自分が育ってきた環境に起因しているものが大きいのだと改めて思う。弟がいることで『しっかりしないと』という自覚は少なからずあったし、共働きだった両親が私に『姉』としての役割を求めていたことも分かっていたし、それが当たり前だと思っていたし、期待されていたことも嬉しかった。それが大人になった今でも生きているというのは自分でも不思議だ。

結局、私が生きている『今』は『これまでの自分が積み上げてきた時間』でしかない。私が立っているここは、知恵とか、経験とか、痛い思い苦い思い出、楽しかったことや夢のような時間、成功体験、つらい記憶。そんなものが小さな石ころとなって集まった浜辺なのだ。そして、私が『今』紡いでいる時間は、1年後の、3年後の、10年後の自分が立つ砂浜だ。だとすれば今の私ができることは、未来の自分が寄る波に足を取られてしまわないようないろいろな砂を、石ころを、いろんな形にしてそこに撒いておくことくらいなのだ、きっと。